大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長野地方裁判所伊那支部 昭和32年(モ)1号 判決 1957年2月15日

申立人 浜千寿保

被申立人 浜横川鉱業株式会社

主文

申立人の申立を却下する。

訴訟費用は申立人の負担とする。

事実

申立人は

一、当裁判所が昭和三十一年(ヨ)第一九号妨害禁止仮処分事件につき昭和三十一年十二月六日為した仮処分決定はこれを取消す、訴訟費用は被申立人の負担とするとの判決及仮執行の宣言を求め

二、その理由並被申立人の抗弁に対する答弁として別紙の通り述べた。

三、疎明として

甲第一、二号証、第三号証の一、二、第四号証の一乃至三、第五号証、第六及七号証の各一、二、第八乃至十二号証、第十三号証の一、二、第十四乃至十七号証を提出し、

証人日比野数政、同浜倫久、同小林大六及被申立人会社代表者竜野喜一郎本人の各尋問を求め、

乙第一乃至四号証、乙第八号証、乙第十一乃至十三号証の各成立を認め、乙第九号証を否認しその他の乙号各証は不知と述べた。

被申立人は

一、申立人の申立を却下する、訴訟費用は申立人の負担とするとの判決を求め

二、答弁並抗弁として別紙の通り述べた

三、疏明として

乙第一乃至四号証、第五号証の一乃至三、第六号証の一、二第七乃至十三号証を提出し、

証人宮沢禎造、同鎌倉英一及被申立人会社代表者竜野喜一郎本人の各尋問を求め、

甲第一、二号証、甲第三号証の二、甲第四、五号各証、甲第六号証の二、甲第九乃至十二号証、甲第十四乃至十七号証の各成立を認め、その他の甲号各証は不知と述べた。

理由

一、申立人主張の本件仮処分決定取消申立の理由たる特別事情の有無を判断するに先だち、被申立人の本件仮処分申請の理由について判断するに

成立に争のない乙第一乃至四号証、乙第八、十二号証、証人宮沢禎造の供述により成立を認める乙第五乃至七号証、成立に争のない甲第三号証の二、甲第四号各証、甲第六号証の二、甲第一号証に証人宮沢禎造、同鎌倉英一及本人尋問に於ける被申立人会社代表者竜野喜一郎の各供述を総合して次の事実を推認する。

別紙目録記載鉱山の鉱業権は元浜勝衛、浜義彦及申立人の父浜道彦三兄弟の共同鉱業権であり、道彦は昭和二十八年五月死亡脱退し、同年八月一日申立人は残存権利者勝衛及道彦より持分の譲渡を受けて共同鉱業権に加入し、義彦は昭和三十一年一月二十八日勝衛は同年九月二十八日相次で死亡脱退し、爾来申立人は鉱業原簿上単独の鉱業権者である。(但義彦、勝衛の各承継人より申立人に対する共同鉱業権加入登録請求の訴が当裁判所(勝衛関係)及東京高等裁判所(義彦関係)に各繋属中)

勝衛、義彦及申立人が共同鉱業権者であつた昭和二十八年中共同鉱業権者等と当時の事実上の採掘者訴外中央電気工業株式会社(以下中央電気と略称)との間に鉱業権の帰属をめぐつて紛争があり、当裁判所昭和二十八年(ノ)第一号鉱業権移転登録請求事件の調停に於て共同鉱業権者等及中央電気に訴外株式会社福岡商会(以下福岡商会と略称)及被申立人会社が参加し、同年九月七日当事者間に調停が成立した。

右調停は所管庁である東京通商産業局長の示した調停案によるものであつてその要旨は、共同鉱業権者等中央電気及福岡商会が共同出資により設立した被申立人会社をして本件鉱山の採掘経営をなさしめること、共同鉱業権者等は被申立人会社のため速かに期間三ケ年の租鉱権を設定し、所管庁である東京通商産業局長に対しその認可申請及登録手続をすること、中央電気は被申立人会社に対し速かに占有及採掘経営を引継ぐことである。

右目的のため既に同年八月十八日被申立人会社が設立され、調停成立後被申立人会社は共同鉱業権者等の承諾及所管庁の承認の下に租鉱権の登録あるまでは中央電気の従来の施業案に則り採掘経営をなすこととなり、中央電気より本件鉱山の占有及採掘経営を引継ぎ被申立人会社へは共同鉱業権者等及その一族が過半数の株式を引受けて参加しかつ社長、専務取締役、常務取締役等に就任し、申立人は監査役に申立人の夫浜倫久は常務取締役及経理部長にそれぞれ就任し事業の経営にあたつて来た。

その間被申立人会社は共同鉱業権者等に対し調停の趣旨に基き租鉱権設定の登録手続を求めたところ、共同鉱業権者中勝衛はこれに応ずるも義彦及申立人は租鉱料率に異議ありとして応じないので、被申立人会社は共同鉱業権者等を被告として当裁判所に租鉱権登録手続請求の訴を提起し、勝衛以外の共同鉱業権者たる義彦及申立人は被申立人会社を被告として租鉱権設定の登録なきことを理由として当裁判所に租鉱権不存在確認請求の訴を提起し、昭和三十一年六月二十六日、前者については共同鉱業権者等は被申立人会社に対し租鉱権設定の登録手続をなすべき旨、後者については共同鉱業権者等の請求を棄却する旨の第一審判決があり各控訴により現在東京高等裁判所に繋属中であり尚義彦は右訴に先だち被申立人会社を相手として当裁判所に立入禁止の仮処分命令を申請し、これが認容されるや被申立人会社より特別事情による仮処分取消の申立をなし、昭和二十九年十月五日右特別事情による仮処分取消の判決がありこれまた控訴により現在東京高等裁判所に繋属中である。

このようにして本件鉱山は前記調停成立直後の昭和二十八年九月以降共同鉱業権者等の承諾及所管庁の承認の下に被申立人会社が占有採掘し、当初に於ては共同鉱業権者等は全員これに参画協力し前記訴訟が繋属するに至つても所管の東京通商産業局長はその成行を注目しつつも被申立人会社の採掘を容認して来たが、昭和三十一年一月義彦は死亡脱退し、同年六月前記訴訟の第一審判決がありその直後共同鉱業権者等及被申立人会社は鋭意和解の折衝をなし略意見の一致を見るまでになつたが結局和解成立に至らずその頃所管庁は申立人の申出により被申立人会社に対し租鉱権の登録なくして採掘することに関し善処方を求め、右要請に応え被申立人会社は租鉱権の登録がなされるまで会社名義による採掘を遠慮し、共同鉱業権者の一人で会社設立以来被申立会社の社長であつた勝衛名義により採掘してはとの意見を申入れたが、同年九月勝衛も死亡脱退し、申立人が登録上の単独鉱業権者となるや被申立人会社が租鉱権の登録なくして無権利のまま採掘をなすことは鉱業法に違反するものとして所管庁に対し採掘禁止を強く要望し、申立人自身の鉱業施業案の認可を申請し、同年十一月所管庁は遂に被申立人会社に対し採掘禁止を指示し申立人の施業案を認可し、次で同年十二月二十六日被申立人会社が右指示に反し採掘を継続するものとして検察庁に鉱業法違反の告発をし、他方申立人も被申立人会社に対し鉱山施設の速かな徹去を求め若し応じないときは申立人自らの手によりこれを徹去すべき旨を通告し、不法採掘の理由で検察庁に告訴し自から本件鉱山の採掘をなさんとして所管庁に対して鉱業事務所の設置届、鉱業代理人任免届等をなし、県知事に対しては火薬庫設置の許可を、営林署に対しては鉱山地域の借受名義人の変更を求める運動をなし、鉱山従業員に対しては雇用替を働きかけその他資材資金の調達に奔走中である。以上を要約すると申立人は被申立人会社に対し本件鉱業権につき租鉱権設定の登録をなし本件鉱山を引渡して被申立人会社をして採掘経営をなさしめる契約上の義務があり被申立人会社は申立人の承諾及所管庁の承認の下に登録前に於て、前占有者中央電気より本件鉱山の引渡を受け占有採掘をなして居り、申立人自身被申立人会社の株主及役員として積極的にその採掘経営に協力し来つたが中途租鉱権の登録に関し被申立人会社と意見対立し未だ租鉱権設定の登録をせず、申立人は自からの登録義務を履行せずしてその登録なきことを理由として被申立人会社の租鉱権を否定し正当の手続によらずして被申立人会社の占有並採掘経営を排除して自から本件鉱山の占有採掘をなさんとして居るものであり、被申立人会社はその占有並採掘経営に対する申立人の右妨害の禁止を求めるため本件仮処分申請をなしたものである。

証人浜倫久の供述その他申立人提出の証拠によつては右推認をくつがえすに足りない。

二、よつて進んで申立人の本件仮処分決定取消申立の理由たる特別事情の有無の点について判断するに、申立人主張の如き仮処分決定のあつたことは当事者間に争がなく、本件仮処分の内容は被申立人会社の本件鉱山の占有並採掘経営に対する申立人の妨害を禁止するにあり、

被申立人会社が本件仮処分申請の理由とするところは前述の通り被申立人会社は鉱業権者たる申立人より租鉱権設定の登録を受ける権利を有し登録前に於ても申立人の承諾及所管庁の承認の下に前占有者中央電気より本件鉱山の引渡を受け占有並採掘経営をなして居り、申立人より租鉱権の登録を受け租鉱権者として引続き占有及採掘をなさんとするものであるが、申立人よりその占有並採掘経営を妨害され又は妨害されんとして居るのでその禁止を求めるというにあり、

申立人が本件仮処分取消の理由として述べるところは被申立人主張の右事実の有無は別として申立人は採掘の準備万端をととのえて鉱業権者として自から本件鉱山の採掘をなさんとするも本件仮処分あるにより事業に着手することができず、これがため(1) 単独の鉱業権登録後六ケ月以内に事業に着手せず又は引続き一年以上事業を休止したものとして所管庁より鉱業権の取消を受けるおそれがあり、(2) 鉱山事故発生の場合保安上の施設の管理補修を怠つたものとして刑事責任を追及せられるおそれがあり、(3) 被申立人会社は所管庁よりの採掘禁止の指示に従はず、検察庁に告発されながらも尚採掘を強行しために鉱山従業員は不法採掘に従事せしめられ刑事責任を追及されるおそれがあり、又事故発生の危険に対しても十分の保障を得られないし、(4) 申立人は事業を開始し得ざることにより採掘経営によつて得べき多大の利益を失いこれに反し被申立人会社が仮処分取消によつて受けることあるべき損害は経済上の損失のみであつて金銭により償い得るものであるので以上の特別事情により本件仮処分の取消を求めるというにあるのであるが、

申立人主張の前記(1) 及(2) の点については鉱業法は鉱業権者が可能であるに拘らず所定期間内に事業に着手せず又は一定期間以上事業を中止した場合、鉱業権を取消さるべきことある旨を又鉱山保安法は可能であるに拘らず、保安施設の設置管理を怠つた場合処罰せられるべき旨を規定したものと解するを相当とし事実上又は法律上の理由により事業の開始、継続又は保安施設の設置管理が不可能又は著しく困難な場合にも尚かつ鉱業権を取消し又は刑事責任を追及する趣旨とは解せられず、而して本件の場合申立人は被申立人会社より任意の引渡を得るか訴訟手続により強制的に引渡を得るまでは本件鉱山の占有を取得し採掘経営をなし得ざる立場にあり、事実上に於ても法律上に於ても速かに本件鉱山の占有、採掘及管理をなすことは不可能であるか又は著しく困難な事情にあるものということができるので、これがため鉱業権の取消又は保安上の刑事責任を問はれることはあり得ず従つて本事由を以て本件仮処分取消の特別事情とはなし得ない、(3) の点は従業員自身又は従業員被申立人会社間の問題であつてこれを以て特に申立人の本件仮処分取消の特別事情とはなし得ない、更に(4) の点については本件仮処分決定取消によつて被申立人会社がこうむることあるべき損害は金銭的補償により満足せらるべき性質のものであり申立人が採掘をなし得ない場合申立人としても多大の損害をこうむる筋合となることは申立人の主張の通りであるが、本件仮処分は単に被申立人会社の占有及採掘経営に対する申立人の妨害を禁止するだけの仮処分であり、たとえ本件仮処分を取消したとしても右取消はこれにより申立人をして本件鉱山の占有を取得せしめて採掘することを許容することとはならず申立人は別途に正当な権利に基き正当な手続によつてその引渡を受けて始めて占有及採掘をなし得べきものであり、本件仮処分取消によつては申立人の本件取消の目的たる占有採掘の目的を達し得ず申立人のため本件仮処分の取消は何等の実益がないものというべく従つて右事由は結局に於て本件仮処分取消の特別事情となし得ない。

この理は前記(1) 乃至(3) の事項にも通じ、申立人主張の以上(1) 乃至(4) の全事由を総合しても申立人に本件仮処分取消の特別事情ありとは認めない。

尚本件に於ては申立人主張の仮処分取消についての特別事情の有無の点のみが争点であり本件仮処分の当否は本件の直接の争点となつては居らず、この点は別件仮処分に対する異議事件に於て判断せられるべきものである。

よつて他の点の判断を略し申立人の本件仮処分取消申立は理由なきものとして却下すべく、訴訟費用については民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 草深今朝重)

申立人の申立の理由及被申立人の抗弁に対する答弁

第一、申立の理由

一、長野地方裁判所伊那支部は被申立人の申請により、同庁昭和三十一年(ヨ)第一九号妨害禁止仮処分申請事件に於て、昭和三十一年十二月六日申立人(被申請人)に対し別紙目録記載の鉱山につき被申立人(申請人)の採掘並占有を妨害する一切の行為を禁止する旨の仮処分決定をした。

二、しかし申立人は同鉱山の鉱業権者であり、被申立人は同鉱山につき何等の採掘並占有の権利を有しない。

右仮処分命令申請事件における被申立人の主張によれば、申立人がその鉱業権に基き東京通商産業局長に対して鉱業施業案の認可申請をなし、又鉱業代理人の解任を届出、更に長野県知事に対して火薬庫の設置許可申請をしたこと等が被申立人の採掘経営及び鉱山の占有を妨害することになるというのである、しかし右事実及び被申立人の採掘経営権の存否はしばらく措き、本件には次項に述べるような特別な事情があるので前記仮処分決定の取消を求めるものである。

三、特別事情の具体的内容は次の通りである。

(1)  申立人は昭和三十一年九月二十八日共同鉱業権者であつた浜勝衛の死亡により単独の鉱業権者(同年十月一日登録)となつた、そこで同年十月二日付で東京通商産業局長に対し鉱業施業案の認可申請をなし、同年十一月十二日付で同局長により採掘並に販売其他一切の権利を内容とする施業案が認可せられ、つづいて同月十八日付を以て鉱業事務所設置届及鉱業代理人選任届を提出し、事業着手の準備をしたが、同年十二月六日本件仮処分決定がなされたため、申立人は事業に着手することができなくなつた。

ところで鉱業法第五十五条第一号によると、鉱業権者が鉱業権設定の登録を得た後六ケ月以内に事業に着手しない場合には通商産業局長は鉱業権の取消をすることができる旨定められて居り、申立人が単独鉱業権者となつてから(本鉱業権そのものの登録は大正六年五月二十三日)実質的に事業に着手しないで六ケ月の期間を経過すれば申立人の鉱業権は取消される危険にさらされている。仮りに施業案の認可等によつてすでに形式的にではあるが事業に着手しているものと解することができるとしても、鉱業法の右条項によれば鉱業権者が通商産業局長の認可を受けないで引続き一年以上事業を休止したときは通商産業局長は鉱業権の取消をすることができるのであるから右と同様の結果となるおそれがあり、若しこのようにして申立人の鉱業権自体が取消されることになれば申立人のこうむる損害は測り知れないものがあるのみならず、被申立人の主張する租鉱権も消滅する結果となるわけである。

(2)  前記のように申立人は鉱業権者として施業案の認可を受けているものであるが、申立人の事業経営の場所的範囲は、本件仮処分決定で申立人に対し、妨害排除を命じた全地域に及び申立人は適法に認可せられた採掘権者として、右の地域全体にわたりその施設等に関し、鉱山保安法に定める保安上の責任を負わねばならず、すでに東京通商産業局は現場調査の結果、申立人の鉱業代理人である浜倫久にあてて保安上の注意事項を指示して来て居る有様であつて、若し申立人自身の手によつて完全な管理補修がなされないままに放置されその結果人命、施設等に事故等が発生する場合には、申立人は前記鉱山保安法上の責任により刑罰を科せられることにもなるのである。

(3)  他方被申立人に対しては昭和三十一年十一月二十八日付で東京通商産業局長から、被申立人は租鉱権の登録なく、何等の採掘し得る権利も取得していないから直ちに採掘を中止するよう勧告が行われた。それにも拘らず、被申立人は採掘を中止しなかつたために、同年十二月二十六日付で東京通商産業局長は長野地方検察庁に対し被申立人の採掘行為は鉱業法第百九十一条第一項第一号に該当するものとして被申立人を告発し、同地方検察庁は現在関係人を取調中である。被申立人が尚この儘採掘を強行し、それがため申立人の事業着手が不可能なときは鉱山従業員も不法な採掘に従事することとなり刑事上の責任を追及され、危険発生についても十分な保障を得られないことになるのであるが、被申立人は従業員等に対しては告発された事実を故意に秘し依然として採掘に従事せしめているのである。

(4)  かくして、申立人が本件仮処分決定に従つて被申立人の採掘経営の妨害とならないような方法で事業を開始しなければならないものとすれば、施業案に従つた採掘経営は殆んど不可能となり、申立人は事業の経営によつて得べき利益を失うばかりでなく、鉱山の管理にも万全を期し難い。

この場合、申立人が蒙る経済的損失は、すでに三年余にわたつて被申立人によつて不法になされた採掘による損害を考慮しないとしても、本鉱山全体の経済的価値に、事業着手の準備諸費用を含め、全く測り知れないものがある。

然も本件における申立人の損失は単純な経済上の損失にとどまらず、前記のように鉱山保安法による保安上の刑事責任までも負わなければならないことになり、かかる刑罰による苦痛は金銭では到底償うことができないものである。

(5)  これに反し、被申立人の受ける損害は、若し本件の仮処分決定がその儘維持され、申立人の採掘権が鉱業法の規定によつて取消される場合には、被申立人の採掘も不可能となり、所謂元も子も失う結果となることが明かであり、又本件の仮処分決定が取消されても被申立人の蒙る損害は専ら経済上の損失であつて、金銭によつて十分担保しうるものである。

尚、従業員の生活問題については被申立人が使用しなくなれば、申立人がその儘これを使用することが当然であり、従業員にとつても、不法な採掘に従事し、刑罰を科せられる危険にさらされるよりは、適法な採掘権者に雇傭せられる方がより安全であり、申立人の火薬庫の設置(申立人は、被申立人主張の如き火薬庫の設置許可申請は未だしていないのであるが、仮りに設置せられたとしても)及び抗内の保安上の問題等は、専ら適法に施業案の認可を受けて採掘する申立人自身の責任問題たるにとどまり、被申立人の損失とは関係がないのである。

そうすると被申立人が仮処分決定の取消によつて蒙る経済上の損失は結局、被申立人所有の施設の保全費用及び採掘鉱物の処分により得べき利益の損失のみであつて、金銭をもつて十分償うことができるものであり、その額は年純益六百万円に相当する額を超えない。

(6)  更に仮処分取消によつて、被申立人の蒙る右の損失の保証については、すでに被申立人の申請により申立人に対して本件鉱業権について、租鉱権設定、譲渡、抵当権の設定その他一切の処分を禁止する旨の仮処分命令があり、その登録がなされておつて、鉱業権が取消されない限り被申立人は申立人の鉱業権自体に対し強制執行をすることによつて前記の損失は十分担保されることが明かである。

四、以上の次第であるから、本件仮処分決定の取消については、特別事情があるものとして民事訴訟法第七百五十九条によつて本件申立に及んだのである。

第二、被申立人の抗弁に対する答弁

一、被申立会社の権利濫用の抗弁に対する申立人の主張

(一) 被申立会社の権利濫用の主張は要するに

(1)  申立人は鉱業権者ではあるが、御庁昭和二十八年(ノ)第一号鉱業権移転登録請求事件において成立した調停に基き、被申立会社のために租鉱権設定認可申請及び登録手続をなすべき義務があり、申立人の鉱業権は言わば負担付のものである。又右義務の履行前と雖も被申立会社をして本件鉱区の採掘経営に支障なからしめるよう協力すべき義務がある。しかるに申立人は右義務の履行をなさずして本件仮処分取消の申立をなすことはそれ自体権利の濫用である。

(2)  又申立人は本件仮処分によつて回復すべからざる損害を蒙ると主張するが、仮りに損害が発生するとしてもその損害は専ら申立人自身の行為によつて生ずるものであるから、その損害を防ぐために仮処分取消の申立をすることもそれ自体権利の濫用である

というにある。

しかし以下に述べるとおり右主張は本件に関する限り事実を強いて歪曲し、調停条項を曲解した結果に基く謬見である。

本件の仮処分取消申立は正に申立人の権利擁護のため欠くべからざる行為で正当なものである。

(二) そこで以下「申立人の義務」及び「被申立人の採掘しうべき権利」等について詳論する。

(1)  先ず申立人は調停条項によつて被申立人のために租鉱権設定認可申請及びその登録手続をなすべき義務を負つているものではない。

調停条項は第四項で

「申立人は被申立人に対し、すみやかに浜横川鉱山についての期間三ケ年の租鉱権を設定し、その許可申請及び登録手続を完了すること」

と定めている。

しかし右の条項はそれ自体だけでは未だ租鉱権設定契約書ということはできない。言い換えるとこの調停ではまだ租鉱権設定契約は成立していないのである。このことは文理上も「速かに………租鉱権を設定し………」とあることから明白である。更に最も重要なことはこの調停条項には租鉱権設定について欠くことのできない最も重要な租鉱料について何ら規定が置かれていない。

およそ鉱業権者が他人のために租鉱権を設定するに際して租鉱料を定めないで設定契約を締結することはあり得ないことである。従つて右の条項はそれ自体租鉱権設定契約と言うことはできず、鉱業権者、租鉱権の設定を受けようとするもの(被申立会社)に第三者(中央電気工業株式会社、福岡商会)を含めた三者間で、鉱業権者が被申立人会社のために期間三年の租鉱権を設定するためにあらためて租鉱権設定契約を締結し、契約成立の上は速かに設定登録手続をするという趣旨を明かにしたものと言わねばならない。

又調停条項が右のように解されるべきものであることは、判決と同一の執行力あるこの調停調書に基いて直ちに租鉱権設定登録手続ができるべきであるのは拘らず登録ができなかつたこと、又被申立会社が調停成立後自ら租鉱料の条項をも明示した租鉱権設定契約書の案を作成し、申立人等当時の鉱業権者に租鉱権設定契約の申込をしてきたことに徴しても明かである。

右の事実は被申立会社も亦調停成立当時かように考えていたことを物語るものである。調停条項が第一項において、被申立人の採掘経営を承認していても、これ亦租鉱権設定契約と言い得ないこと右と同様である。

そうすると申立人がこの調停条項によつて負う義務は被申立会社と協議の上租鉱権設定契約を締結すべきことであつて、直接租鉱権設定登録をなすべき義務を負つているのではないのである。

しかして申立人と被申立会社との間の租鉱権設定契約は租鉱料についての協議が整わず、他方被申立会社が調整条項所定の鉱業権者の経営参加を調停成立後旬日を置かずして拒否する態度に出で、当事者間に争いが生じ、現在もその争いが継続しているためついに現在まで租鉱権設定契約が成立するに至らなかつたのである。

かくして申立人は現在まで被申立会社のために租鉱権設定認可申請及びその登録手続をなすべき義務を負つてはいないのであるが、更にその基礎である租鉱権設定契約の不成立の原因も前記のように被申立会社にあるのである。

以上の通りであるから申立人の義務の存在を前提とする被申立会社の主張はこの点においてすでに理由がないのである。

(2)  被申立会社の主張によれば、申立人が被申立会社の採掘に支障のないよう協力すべき義務があると言うのであるが、被申立会社が一体いかなる権利に基いて、現在まで採掘を継続してきたのであるか全く明らかにされていない。

しかし、鉱業法によれば鉱区の採掘は鉱業権又は租鉱権によらなければなしえないものとされているのである。

そして鉱業法第八十四条、同第八十五条には、租鉱権の設定は登録によつてその効力を生ずるものと定められており、登録をもつて単なる対抗要件とはせず、効力発生要件としているのである。この規定は租鉱権が特に社会公共の利害に密接の関係を有しその設定も行政官庁の許可にかからしめている特殊な権利であり、その権利行使にも種々な公法上の制限を受けるという性質から定められたものである、登記を対抗要件とする民法上の制度に対する稀有の例外規定である。

そして登記制度と同じくこの規定は強行規定であつて、当事者の意思によつて自由にその効力を変更しうる性質のものではないことも当然である。

しかして前記の調停条項は、第一項で申立人等が被申立会社の採掘経営を承認し、又第七項において被申立会社は調停成立後すみやかに本件鉱山の採掘及び経営を引継ぐものと規定されている。

被申立人会社の主張によれば、被申立人会社の採掘行為はこの条項に基き適法とされるもののようである。しかし、かかる主張は調停条項の解釈を故意に曲げているものである。鉱業法は前記のように租鉱権の設定は登録によつてその効力を生ずるものと定めているのであるから、いやしくも裁判所が関与して成立した調停調書中に強行法規に違反するような内容をもつた条項を入れることは考えられないところである。言いかえると調停調書の右条項は表現が不十分であるとはいえ、被申立人会社が租鉱権設定登録以前においても採掘しうるということまで定めたものではなく、租鉱権設定登録がなされた暁は、速かに採掘に着手すると言う意味の規定なのである。調停条項第七項が「すみやかに」と規定し「直ちに」と規定していないのは第四項の登録手続との関係を考慮した結果である。

そして租鉱権設定登録手続が未だなされないのは(1) に記述したとおり申立人と被申立会社間に租鉱権設定契約が成立していないからに他ならない。

尤も被申立人会社は申立人に対する御庁昭和二十九年(ワ)第四六号租鉱権設定契約履行等請求事件の第一審で勝訴判決を得たことをもつて申立人に登録義務あり被申立人会社は採掘をなしうると主張する如くであるが右事件は申立人等に対して租鉱権設定登録手続をなすべきことを命じたにすぎず、現実に被申立人に租鉱権があり、採掘すべき権限ありとは判示していないのである。

それのみならず右事件は申立人等の控訴申立により現在東京高等裁判所に係属し係争中で、未確定なのであるから右の判決をもつて申立人に租鉱権設定登録義務ありと言うことはできない。

要するに被申立人は現在採掘しうべき適法な権限を全く有しないのである。

(3)  かくして、被申立人会社が若し本件鉱区の採掘をなしうる権利があるとすれば、それは申立人との間に租鉱権設定契約が成立し、鉱業原簿に登録がなされた時以後なのであつてそれ以前において鉱業権者である申立人が採掘に従事すべきが当然の結論となるのである。

しかるに被申立人会社は前記調停条項を強行法規に反してまで故意に曲解し、昭和二十八年九月十八日以来三年四ケ月にわたつて継続して本件鉱山の違法な採掘に従事して来た結果、事実上調停条項に従つて租鉱権を設定したのと同様な利益を得ている次第である。しかも被申立会社はその間租鉱料相当額の弁済供託は愚か、口頭による提供さえもしないのであるから適法に租鉱権を設定した場合より以上の利益を収めている(被申立人会社は租鉱料相当額を帳簿に記入していると主張するが、貸借対照表には全く項目を欠いている、仮りに帳簿を記入したとしてもそれだけでは鉱業権者の権利は何らの保証を得られないわけである)に反し、申立人はその間本件鉱山から一銭の収入も得ていないのである。

申立人は財産としては本件鉱山以外に全くなく現在生活は亡父の遺産を喰いつぶすことによつて漸く支えられている有様なのである。

従つて仮りに被申立人の採掘が租鉱権に基くものとしてもすでに採掘開始のときから調停条項所定の三ケ年の期間を経過し、しかもその期間満了に際し誰からも調停条項第六項に従つた存続期間延長の請求がなされていないのであるからこの場合にも被申立人は現在採掘をなし得べき何らの正当な権限をしていないのである。

(三) 被申立人の採掘をなし得べき権利及び被申立人会社の主張する申立人の義務とは実は前記のようなものである。かかる事情のもとにあつて申立人がすでに三年有余にわたつて被申立人会社の違法な採掘により蒙つた損害は測り知れないものであつて被申立人の全財産をもつてしてもつぐない得ないものである。申立人としては自己の生活を維持し鉱業権者としての権利を擁護するためにはここでどうしても自己の手によつて本件鉱区の採掘をする以外にはないのである。

又仮りに被申立人が適法な租鉱権に基いて三年有余の採掘経営をなし来つたものと主張するならば、前述のとおりすでに租鉱権存続期間は経過し適法な延長の請求がない現在、被申立人会社はその採掘を中止し申立人に対して本件鉱区を明渡すのが当然の措置である。この点からするも、採掘継続は違法なものとなるわけである。

しかも本件においては申立の理由で述べたとおり申立人の鉱業権は取消され、又鉱山保安法上の刑事責任を追求されるおそれさえある。そして申立人の鉱業権が取消される場合には被申立人会社も租鉱権の設定を受け得ないことになるのであるから鉱業権取消を防ぐことは被申立会社のためにも利益でこそあれ不利益となることはあり得ないのである。

申立人がかかる事態に立ち到つているのに被申立人はその違法行為を隠蔽するために「占有並に採掘経営の権利」などという内容不明の権利に基いて(採掘すべき権利を有しないのだから占有権以外ないのであるが)妨害排除の仮処分を得てなお違法行為を継続し法の名において申立人の権利を侵害しようとしているのである。このような妨害排除仮処分の取消を申立て違法状態の救済を求めるのは正に権利の擁護のために欠くことのできない行為であつて権利の濫用とは全く性質を異にする。

(四) なお被申立人会社は本件仮処分命令によつて申立人の蒙る損害は専ら申立人自身の行為に基くものであつて、この損害の責任を被申立会社に転嫁し仮処分の取消を求めることも亦権利の濫用であると主張するが、前記の諸事実に照すと該主張も理由のないことが明らかである。

二、鉱業権の取消を受ける危険があることについて

(一) 申立人が浜勝衛及び浜義彦と共同鉱業権者として採掘権の登録を得たのは昭和二十八年八月一日であり、その後勝衛及び義彦の死亡による脱退に伴い申立人が単独の鉱業権者となつたのが昭和三十一年十月一日である。

共同鉱業権者は鉱業法によれば組合契約をしたものと看做されるのであるから、単独の鉱業権者の場合とは採掘権としては同一の目的をもつているというものの鉱業権の合有的帰属に伴う制約をうけることにより、権利行使の方法が全く異る。

従つて両者の鉱業権者としての地位も異つたものと言わなければならない。だから申立人が鉱業権の設定登録を受けたのは昭和三十一年十月一日単独の鉱業権者となつたときであり、事業着手の義務はこのときから生ずるものなのである。

(二) 被申立会社の主張によれば申立人が現在採掘に従事せず事業を休止しているとしても被申立会社が採掘をしているから鉱業法第五十五条第一項に従い事業の休止に対する制裁としての取消をうけることはないというのである。

しかし被申立会社の採掘は鉱業法に違反する違法な行為であるとして東京通商産業局長はすでに告発をなしていることに注意しなければならない。若し申立人が事業休止の状態を継続し、何ら権利保護のための手段を尽さず、東京通商産業局亦これをやむを得ない事態として放任するということになれば、東京通商産業局は自ら違法として告発までした被申立会社の行為を結果において是認することになるわけである。法の執行に当るべき行政官庁がかかる矛盾を敢てすることはあり得ないであろう。かく考えれば、東京通商産業局は適法な採掘権者である申立人に対し、違法状態の除去のための適正な手段をとるべきことを要求し、更に申立人が放置するときは鉱業権の取消にまで発展するおそれは十分である。だからこそ申立人はかかる事態の発生を防ぎ権利を擁護するためにはどうしても被申立会社の採掘中止を求め自ら事業に着手する以外に道はないのである。

被申立人の答弁並抗弁

第一、申立の理由に対する答弁

(一) 申立の理由第一項の事実は認める。

(二) 申立の理由の

第二項の事実中申立人が浜横川鉱山(以下本件鉱山という)の鉱業権者であること及び被申立会社が本件仮処分命令申請をなすに当り、申立人掲記の如き事実を例示したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(三) 申立の理由第三項中

(イ) (1) の事実については、申立人は従来本件鉱山の共同鉱業権者である申請外浜勝衛が死亡したことにより鉱業原簿上単独鉱業権者として登録されたこと(但単独鉱業権者であることは否認)、申立人がその主張の日に東京通商産業局長に対し施業案の認可申請をなし、その認可を受けたこと、及び申立人主張の日に鉱業事務所設置届及び鉱業代理人選任届をなし、事業着手の準備をしたこと及び本件鉱山につき採掘権設定登録をしたのは大正六年五月二十三日であることは認めるが、その余の事実は之を否認する。

(ロ) (2) の事実については、本件仮処分命令の効力の及ぶ範囲と前記認可を受けた施業案の範囲とが同一であるか、否かの事実、並びに本件鉱山につき東京通商産業局が浜倫久に宛て保安上の注意をなしたか否かは不知、その余の事実は全部否認する。

(ハ) (3) の事実については、告発のあつた事実は不知、その余の事実は否認する。

(ニ) (4) 及び(5) の事実は之を否認する。

(ホ) (6) の事実については被申立会社が申立人主張の如き仮処分命令を得、その登録を了したことは認めるが、その余の事実は之を否認する。

(四) 申立理由第四項は之を争う。

第二、抗弁

一、本件仮処分取消の申立は権利の濫用であり許容さるべきでない。

(一) 本件仮処分申請に至りたる事情

一、本件鉱山は申立外亡浜勝衛が明治四十三年頃発見開発し、大正六年五月二十三日同人は実弟たる申立外亡浜道彦(申立人の実父)及び申立外亡浜義彦を鉱業権者に無償加入させその採掘経営を行つてきたものであるが、今次の大戦に当り重要鉱物増産法の適用を受け、申立外中央電気工業株式会社(以下中央電気と称する)に使用権を設定され、爾来同社が採掘設備を増強し、合理的開発を行つてきたものであるところ、同社と共同鉱業権者間に於て本件鉱山の引渡を廻り紛争を生じ、御庁昭和二十八年(ノ)第一号鉱業権移転登録請求調停事件として調停に付されると共に時の東京通商産業局長の斡旋を受けた結果右当事者並びに株式会社福岡商会及被申立会社を参加人として漸く大要左の如き調停が成立するに至つたのである。(調停内容表示の便宜上、申立外中央電気を甲、共同鉱業権者三名を乙、申立外福岡商会を丙、被申立会社を丁とする)

(イ) 甲乙丙は丁が本件鉱山の採掘及び経営を行うことを承認する。

(ロ) 丁は甲乙丙に対し夫々一五%、六〇%、二五%の割合による資本並に経営の参加を認める。

(ハ) 乙は丁に対し速かに本件鉱山につき期間参ケ年の租鉱権を設定し、その許可申請及び登録手続を完了すること。

(ニ) 乙及び丁は前項租鉱権の存続期間満了に際し、甲、乙、丙、丁の一若くは二以上の当事者より存続期間延長の請求を受けたときは一回目に限り三ケ年の存続期間の延長に応じ、直ちにその許可申請及び登録手続をとること。

(ホ) 甲は本調停成立後速かに丁に対し、本件鉱山の採掘並に経営を引継ぐこと。

(ヘ) 丁は甲が右引継と同時に解雇した労働組合に属する従業員を即時その儘新規採用し、その地位、待遇を不利益に変更しないこと。

(ト) 甲は本件鉱山に於いて所有する事業施設一切を、丁に対し代金壹千壱百万円也にて譲渡し、その所有権を移転する。

右物件の引渡は右(ホ)項の引継と同時になすこと。

(チ) 甲乙丙丁は本調停条項の実施に関し、紛議を生じたときは、極力当事者間の協議により円満解決することを建前とし、協議調わざるときは先づ東京通商産業局長の斡旋を求め、右斡旋によるもなお解決を見ないときはじめて裁判所に提訴すること。

二、かくして成立した右調停の骨子である被申立会社の本件鉱山の採掘経営並に租鉱権設定に関する事項は時の東京通商産業局長の斡旋慫慂により決定したものであり、その際同局長の要望もあつたので、該調停成立に先立ち調停内容を実施する為本件鉱山の採掘経営を担当する会社を設立することとなり、昭和二十八年八月十八日共同鉱業権者を中心として設立されたものが被申立会社であり、右調停の趣旨により共同鉱業権者等は被申立人に対し租鉱権登録前に於てもこれが採掘経営をなし得ることを承諾した。

而してその設立に当り申立人等共同鉱業権者及びその家族等が発起人の主体となり申立人は監査役、申立人の夫浜倫久は常務助締役兼経理部長、申立外亡浜勝衛は代表取締役社長、その長男申立外浜博臣は常務取締役兼総務部長、申立外亡浜義彦は専務取締役兼鉱業所長、その妻申立外浜登乃恵は取締役に夫々就任して、被申立会社の取締役七名中五名を占めると共に被申立会社の株式の過半数を取得して、被申立会社の実権を掌握し、爾後被申立会社の本件鉱山に対する採掘経営の主体となつて活躍して来たものである。

三、被申立会社は右の如く本件鉱山の採掘経営を行うと共に、共同鉱業権者に対し速かに租鉱権設定の認可申請及び登録手続きをとるよう要望したのであるが、共同鉱業権者の一人である申立外亡浜義彦は右手続義務を履行せず(後に至り申立人も之に同調した)剰え被申立会社に対し租鉱権不存在確認の訴を提起するに至つたので被申立会社は止むなく申立人等に右手続の履行を求める訴を提起し、御庁に於て御審理の結果、右両訴につき被申立会社勝訴の判決を得たのである。

然るに申立人は右判決に対し、控訴を提起して租鉱権設定認可申請及び登録手続の義務を更に遅滞遷延せしめているのみならず他の共同鉱業権者が死亡したことを奇貨として、被申立会社の本件鉱山に対する占有及び採掘経営につき、本件仮処分申請理由に於て陳述した如き妨害行為をなし、或は之を為さんとしているので被申立会社は自衛上本件仮処分申請に及んだ次第である。

(二) 申立人の本件仮処分の取消申立が権利濫用である理由

(一) 凡そ私権はその権利の主体である個人の利益を直接の目的とするものであることは勿論であるが、これは法によつて認められたものであり、法は社会全体の向上発展を以つてその目的とするものであるから、之に反するが如き私権の存在の認められないことは理の当然である。従つて私権はその成立自体から社会全体の共同生活の福祉と調和を保つ範囲内に於てのみ認められ、且つ存在し得るにすぎない。されば吾民法がその第一条第一項に於て「公共の福祉に遵う」として、私権の社会性を宣言明示し、その第二項は「権利の行使、義務の履行は信義に従い、誠実を為すことを要す」とし、第三項は「権利の濫用は之を許さず」と規程し、以つて叙上の趣旨を明らかにしている所以である。従つて私権は社会共同生活の全体としての向上発展に遵うことを要し、その権利の行使及び義務の履行は社会共同生活の一員として信義に従い、誠実を以つてなすべきであり、之に反する場合は即ち権利の濫用に外ならない。

されば相対的に権利を有し、義務を負担している者が自己の義務は履行せずして権利のみを行使し、或は自己の義務の不履行に依つて招来した責任と損害を他人に転嫁して、その保護を求めることは許されないところであり、而して又、権利者が権利を行使して得ようとする利益と、それによつて他人に与える損害とを比較考慮し、権利者が権利を行使することにより、他人に与える損害の過大なるときは、社会共同生活全体としての向上発展に遵う所以ではないからとりもなほさず権利の濫用であり之亦許さるべきところではない。(註一)

(註一) このような権利濫用を認定した判決例に左の如きものがある。

(1) 大審院判決 昭和十三年十一月十六日言渡、法律新聞四三四九号

(要旨) 上告人自身会社に懇請して無尽落札金を受け乍ら、本訴に於いて自らその無効を主張するのは信義誠実の原則に背馳するものである。

(2) 高等法院上告部判決 昭和十二年二月十三日言渡 法律新聞四〇一三号十六頁

(要旨) 故意に法律上無効な行為をなし、善意無過失の相手方をして之を信頼せしめて、利害関係を生ずるに至らしめた者は爾後相手方に対し自己のした行為の無効を主張して相手方に不利益な結果を齎すような請求は信義誠実の原則に鑑み法の許容するところでない。

(3) 東京高等裁判所判決 昭和二十五年十二月二十八日言渡 下級裁民事判例集一巻、十二号、二一二六頁

(要旨) 代表取締役の事前の承認に信頼して株式譲渡がなされた場合、爾後の定款変更に基き取締役会がその承認を拒否するは信義に反し許されない。

(4) 大阪区裁判所判決 昭和十三年十二月一日言渡 評論二十八巻、民法四四〇頁

(要旨) 債権者自ら債務不履行を誘発し乍ら、その結果を相手方の不利益に帰せしめるのは条理に反し信義、誠実の原則に照し許容し得ない。

(5) 東京地方裁判所 昭和六年十月九日言渡 評論二〇巻、民法九五九頁

(要旨) 権利の行使には自ら一定の限界ありて苟も権利を有するに於ては之を行使するも、自己には何等の利益もなく而も之により他人に損害を加え、社会経済上損失を招くが如き場合に於ても何等の制限なく之を行使するは全く権利者の自由たるべしと云うが如きは到底法律の許容する所に非ず。

而して以上法理は保全訴訟に於ける特別事情による取消申立に於てもその儘適用されるべきところである。蓋し特別事情による取消申立は仮処分命令を受けた者が特別事情ありとして該命令の取消を求める裁判上の権利行使であり、畢竟裁判上に於ける私権の救済を申立てることに外ならないからである。

されば、他人に対し相対的に権利を有し義務を有する者が、自己の義務を履行せずして権利のみを行使することは許されないところであり、或は又自己の義務を履行しないことにより他人に損害を加え、その為めその者をして仮処分命令により自己の権利を擁護せざるを得ないような緊急状態に陥入らしめ、その者が一度び仮処分命令を受けるに至るや、該仮処分命令により償うことのできない損害を蒙るとか、或いは又相手方の損害は金銭を以つて補償し得る等と称して特別事情による仮処分命令の取消を申立てることは之を為し得ないものである。何となれば仮りにかような損害を受けるようなことがあつたとしても、該損害は自ら甘受すべきであつて、自己の責任による損害を他に転嫁しその責任を問うことは信義誠実の原則に反し明らかに権利の濫用であつて許容さるべきところではないからである。(註二)

(註二) この点については左の判決例を御参照相成り度し。

(1) 東京地方裁判所判決 昭和二十六年(モ)第二八九一号

判決言渡年月日不詳、柳川真佐夫著、新訂保全訴訟一五〇頁

(要旨) 一般に権利はその認められた目的を逸脱して濫りに之を行使し、或はその行使に名を籍りて、他人の権利を侵害することは許容されないところであつて私法上の権利についてはこの点民法上に明文を以つて表現されているところである。訴訟上の権利についても、訴訟法の性質からして私法上のそれとは差異が生ずることは考慮されねばならぬがその濫用の許されぬこと固より否定できない、(中略)結局本仮処分申請には何等正当な利益乃至必要が存在しないのであつて正しく訴訟上の権利を濫用するものであり、よつてその内容の審理に入らず、之を不適法として却下すべきものとす。

(2) 同裁判所判決 昭和二十五年二月十日言渡

下級裁判例集一巻二号一七〇頁

(要旨) 現実に完成した建物の使用をなし得ない経済的損失が申立人に於て本件仮処分執行後之に違反して工事をなした為め生じたものである限り之を特別事情として主張できないものである。

(3) 同裁判所判決 昭和二十六年十二月二十六日言渡

下級裁判例集二巻十二号一五一一頁

(要旨) 現実の客観的状態から言えば仮処分を発令し得る緊急の必要がある場合でもその緊急の状態が、自ら招いたものである場合には仮処分による保護を求めることを得ない。

(4) 同裁判所判決 昭和二四年(モ)第一二三号

判決言渡年月日不詳 柳川著 同上三二〇頁

(要旨) 申立人が自ら仮処分決定に背き、その結果として異常の損害を蒙る事態を招来しておき乍がら之を特別の事情として、仮処分決定の取消を求むるは条理に反し許容することができない。

(二) 飜つて本件について之を観るに、前記被申立会社の本件仮処分命令を得るに至つた事情の項に述べたところによつて明らかな如く、申立人は前記調停調書により被申立会社をして本件鉱山を採掘経営せしめることを骨子として、該鉱山の設備一切の引継ぎをなし、直ちに租鉱権の設定認可申請並に登録手続をなすことを承認しているのであるから、言わば申立人の鉱業権は被申立会社の為め租鉱権設定認可申請及び登録手続をなすべき負担付のものであり、換言すれば申立人が該調停により確保することを得たものは自らは本件鉱山を採掘せず被申立会社をして採掘経営せしめ、被申立会社の為租鉱権設定登録をすることを前提とした鉱業権であつて本件鉱山を採掘経営すべき権限は本来被申立会社のみが之を有するものである。従つて申立人は被申立会社に対して申立人が本件鉱山の採掘をなすべき権利ある旨を主張して之が採掘をなし得べきものではなく寧ろ申立人は前記調停の趣旨に従い申立人の有する租鉱権設定認可申請及び登録手続をなすべき義務を誠実に履行し、該義務の履行前と雖も被申立会社をして採掘経営に支障なからしめるよう協力を為すべき義務を負担しているのである。

更に申立人が他の共同鉱業権者の死亡したことにより鉱業原簿上単独の鉱業権者となり得たとしても、申立人の鉱業権は右の如く採掘を為し得ない負担付の鉱業権であつて、被申立会社に対する関係に於ては之につき何等の消長をもたらすものではないのみならず、浜義彦並に浜勝衛の死亡に伴い、浜恵美子(義彦長女)及び浜博臣(勝衛長男)が御庁の採掘権取得の仮登録仮処分命令により鉱業原簿にその登録がなされ、早晩採掘権取得の本登録をなし得るものであり、之が本登録の場合その効力は仮登録の日時に遡及するものであるから申立人は仮登録権利者である浜恵美子及び浜博臣の共同鉱業権者として受け得る利益を失わしめることは勿論、この両の意思を無視した行為は之を為し得ないものである。

従つて、申立人は本件鉱山に関する限り実質上単独鉱業権者ではなく且つ前述の如き負担付の鉱業権者であるから自己の意の儘に鉱業権者として凡ゆる行為は之を為し得ないものであることは多言を要しないところである。

以上述べた如く申立人は本件鉱山の採掘を為す権利を有せず直ちに被申立会社の為め租鉱権設定登録義務を履行すべき筋合であるに不拘何等の理由なく之を拒否し、その為め未だ鉱業原簿上被申立会社に租鉱権設定登録無きことを悪用し申立人自ら本件鉱山を採掘せんとする目的を以て本件仮処分命令の取消を申立てることはそれ自体正に権利の濫用であつて許されるところではない。

(三) 申立人が本件仮処分取消の申立理由中に於て主張するところは、之を要約するに、申立人は本件仮処分命令により事業の着手及びその継続を妨げられている為め、経浜上の損害を蒙るは勿論、鉱業法第五十五条第一号により鉱業権を取消され或は又鉱山保安法により刑罰に処せられる可能性があるから、金銭を以て償い得ない苦痛及び鋼業権を取消されることによる経済上の損害を蒙る虞れがあると云うのである。ところが申立人の右主張の如き損害及び損害発生の危険は何等存在するものでないことは後述(第三、申立の理由に対する反駁の項)する通りであるが、仮りに申立人主張の如き事実の発生を見る可能性があるとしても申立人の主張する処は何れも前述の如く申立人が前記調停により被申立会社に対し租鉱権設定認可申請及び登録手続をなす義務を何等の理由なく拒否して被申立会社をして鉱業原簿上に租鉱権設定登録なき状態に陥入らしめ、之を利用して申立人自ら本件鉱山を採掘する権利なきに不拘、敢えて之をなさんとして、被申立会社に対し前記の如き妨害行為をなし、被申立会社をして自衛上本件仮処分命令を得るの已むなきに至らしめたものであつて之畢竟申立人自らその主張する損害発生の可能性を招来せしめたものに外ならない。

従つて、右の如く被申立会社が申立人の違法な権利の行使により已むなくした本件仮処分命令を恰も被申立会社の不当なる行為によるものとして、その責任と損害を被申立会社に転嫁して本件取消申立をなすは之亦権利の濫用であつて許されないものである。

第三、申立人の主張に対する反駁

一、申立人が仮処分取消の事由として主張するところは要するに

(一) 申立人は他の共同鉱業権者の死亡により単独の鉱業権者となり、採掘経営及び販売その他一切の権利を内容とする施業案の認可を受け、鉱業事務所の設置届及び鉱業代理人選任届をなす等事業着手の準備を整えたが、本件仮処分決定により、事業に着手できぬ為め左のような重大損害を蒙り又は蒙る虞れを生ずる至つたものである。

(1)  本件仮処分命令により申立人が事業に着手せづして六ケ月の期間を徒過するときは鉱業法第五十五条第一号の規定の適用を受け鉱業権を取消されることとなる。

(2)  又仮りに事業の着手があつたと看做されるとしても一ケ年以上事業を休止するときは同条同号の規定を適用され同様鉱業権の取消を受けることとなり甚大な損害を蒙ることとなる。

(3)  施業案認可の対象である鉱区の施設について、鉱山保安上の責任は施業案認可を受けた鉱業権者たる申立人が之を負担するものであるが、本件仮処分命令により申立人は完全な管理ができず、本件鉱山を現状の儘放置しておくときは人命、施設に事故発生したとき申立人は鉱山保安上の責任を負い、場合によつは刑罰を科せられる苦痛を受けることとなり、金銭によつて償う能わざる損害を蒙る虞れがある。

(4)  本件仮処分の為め施業案に従つて採掘経営は不可能となるから、申立人は事業の経営により得べかりし利益、本件鉱山全体の経済的価値減少及び事業着手の準備諸費用等の経済上の損害を蒙る。

(二) 之に反し本件仮処分の取消により被申立人の蒙る損害はその所有施設の保全費用及び採掘鉱物の処分によつて得べかりし利益の喪失と云う金銭補償を以つて足りる損害のみである。

というのである。

二、然し乍ら、申立人が主張する右の如き申立人の蒙る損害は全く存在しないことは以下述べるところによつても明白なところである。

(一) 申立人が鉱業権の取消を受け損害を蒙る虞があるとの主張につき

(1)  申立人は本件仮処分命令にとり事業に着手出来ず、この儘六ケ月を経過するときは鉱業法第五十五条第一号の規定の適用を受けることとなると主張するが、申立人に於て自認するように本件鉱山につき鉱業権の設定登録を了したのは大正六年五月二十三日であり、鉱業権者は直ちに事業に着手し、採掘経営を行つて来て現在に及んでいるのであるから鉱業権設定後六ケ月を徒過しているとは云えない。従つて本件仮処分によつて事業に着手できないから取消されるとの申立人の主張は法律を誤解してなす以外のなにものでもない。

(2)  又申立人は仮りに施業案の認可により事業の着手があつたと認められるとしても本件仮処分により休業状態が一ケ年以上継続するときは鉱業権の取消を受ける虞がある旨主張する。然し乍ら元来鉱業法第六十二条第一項が鉱業権者に対し事業着手の義務を、同条第三項が事業継続の義務を規定した所以は国家の重要なる鉱物資源を合理的に開発し公共の福祉を増進せしめる為め、国家より鉱物採掘の権利を与えられた鉱業権者が何等の理由なく鉱物を採掘せずして放置する時は徒らに鉱物資源を地下に眠らせ鉱業権附与の趣旨に反するので鉱業権の設定若くは移転の登録の日より一定期間内に事業に着手する義務及び一定期間以上事業を休止してはならない義務を定めたものである。之に違反し鉱業権者が採掘可能な状態にあり乍ら何等正当な理由もなく採掘せず放置して之を顧りみないときには制裁として鉱業権を取消し得ることとし以つて前記の如き鉱業権附与の目的を達成せしめんとしたものが同法第五十五条第一号に外ならない。

然るに、本件鉱山は前述した如く明治四十三年申立外亡浜勝衛の発見開発以来同人及び申立人の実父亡浜道彦並びに亡浜義彦等がその採掘経営に当り一時申立外中央電気が採掘を継続し、爾後被申立会社が之を承継しその採掘経営に当り今日に至つているものであり終始事業を休止したことはない。而も被申立会社が採掘経営を行つて居るのは前記調停により、申立人から租鉱権設定登録を受けることを前提として、その登録前と雖も採掘経営をなすべき権限を承認せられているからであつて、然も該調停は、東京通商産業局長の斡旋慫慂の結果、その要望により当事者が承認したものである。このことは監督官庁に於ても之を諒承しているところであり、従つて、申立人自身に於て採掘経営を行はないとしても前記法案の目的に違反し、取消の対象となる虞れは毛頭存しないところである。いわんや申立人は被申立会社に対し租鉱権設定の登録をなす可き旨の判決のあつた現在に於ては特に然りとする。

申立人に於て右の如き事由の為め事実上採掘できないことが仮りに休業と看做されるとしても、かような事由のある限りその事由を具して通商産業局長の認可を受ければ足るのであつて、かようなことを為さず、取消の事由の虞を専ら本件仮処分のみに在りとして声を大にして主張するには得手勝手も亦甚しいところである。

仮りに百歩を譲り申立人が事業を行うことができないのは本件仮処分命令に因るものであるとしても、そは、申立人に於て何等の理由なく鉱山を放置して之を顧みないものではなく裁判所の命令により採掘事業を行い得ないものであるから、事業を行わないことにつき正当の理由があるので、之が為め鉱業権の取消を受けるような虞は毛頭存在しないところである。

然して又、鉱業権取消の場合を規定せる鉱業法第五十五条は仮りに申立人主張のような事実が存在するとしても直ちに鉱業権を取消すものではなく且取消さなければならないものでもなく、行政庁をして之が取消を為し得る旨の自由裁量権を与えているに過ぎない。

従つて、鉱業権者が何等の理由なく鉱山の採掘を放置して之を顧みない場合は格別、本件の如く既述のような特殊の事情がある場合に尚且之が取消を為すようなことは憲法の精神から云つても到底予想し得られないところである。

(3)  申立人は施業案により採掘並に販売の一切の権利を取得した如く主張するが鉱業法第六十三条が鉱業権者は事業に着手する前に施業案を通商産業局長に届出でこれが認可を受ける可き旨を規定しているのは元来鉱業は地下資源を採掘するという作業の特殊性により施業方法宣しきを得ないときは人命を損し地表に損害を及ぼし地下資源の完全開発を不可能ならしめ延いては国家経済上の損失をもたらす恐れが大である為主務官庁をしてこれが監督を容易ならしめるために定められたものである、従つて施業案が認可せられたことによつて採掘権を取得し或は採掘取得した鉱石の販売其の他一切の権利を取得するものでないこは明らかであるからこの点に関する申立人の主張は法を誤解するも又甚だしきものである。

(二) 申立人が鉱山保安上の責任を負い刑罰に処せられる危険性があるとの主張について被申立会社は鉱山保安の点については特に厳重に注意し人命の尊重、鉱山施設の破損等の保安上の事故の防止に遺憾なきを期しているので、申立人主張の如き危惧は何等存在しないことは勿論、却つて申立人は前述の如く調停調書の本来の義務を履行すれば、申立人主張の様な危惧は何等存在しないのであつて、右の如き自己の義務を履行せずして鉱山保安上の危惧を云々することは許されない。

監督官庁の鉱山の保安状態に関する監督は、係官が直接鉱山現場に赴き現実に逐一調査を行い、保安上注意を要すべき点があるときは、現に採掘している者に対して、其の場で注意を与えているものであつて、本件鉱山の保安調査に於いても、係官が鉱山現場を親しく調査し、その調査に際しては被申立会社の係員が随伴して直接保安上の指示を受け、施設の補修等一切の指示事項は直ちに実行して来ているのであつて、保安状況は常に良好に維持され又維持され得るところとなつているものである。申立人は監督官庁より保安上の注意を受けていると称するが、かかる注意事項は、既に本件鉱山の保安状況の調査の際、係官より被申立会社が直接之を受け、その注意事項は直ちに完全に実行しているものであつて、何等保安上危険発生の虞なきところである。のみならず注意事項それ自体を以てしては未だ以てかかる危険発生の虞を生ずるものではない。

(三) 申立人は種々の経済上の損害を蒙るとの主張について

申立人は本件仮処分命令により採掘経営が出来ずその結果事業経営によつて得べかりし利益を喪失し又被申立会社の採掘により本件鉱山の価値が減少し若くは事業着手の準備費用が無意味となる等の経済上の損失を蒙ると主張するもののようであるが、前記の如く被申立会社は申立人の承認の下に本件鉱山を経営しているものであり、申立人自身は何等之が採掘を為し得ないものであるから申立人が本件鉱山によつて受ける利益は単に租鉱料を収得する以外の何ものでもない。而も被申立会社は前記判決によつて認められた租鉱料は何時にても支払う用意があり、而もその支払は何等之を拒否するものではなく、却つて申立人に於て租鉱料の受領を拒否しているものであるから、損害の発生するいわれはない、従つて、申立人の事業経営によつて得べかりし利益を喪失するとの主張は失当である。

而して又被申立会社の本件鉱山に対する採掘経営は右の如き正当の理由によつて之を行つているのであるから之により鉱山価値の減少に伴う損害等を生ずるものでもなく将又申立人は何等採掘する権限を有しない以上、その事業着手をなし得べき筋合ではないから採掘の準備費用につき損害を生ずる理由もない。

仮りに申立人主張の如く本件仮処分により損害発生の虞があるとしても、それは申立人自らが租鉱権設定登録等の義務を履行しないのみならず、却つて被申立会社の採掘経営等に対する妨害行為をなす為め、被申立会社が止むを得ず仮処分命令を得たことに基因するものと云うべきであるから畢竟その損害発生の原因はすべて申立人自らの背信行為に帰一するものである。従つて、本件仮処分命令により損害を生ずるとしても、それは申立人が天に向つて、唾をしたと同様申立人自身に於て甘受すべきことは論なきところであつて、本件仮処分命令を原因とする損害は究極のところ厘毛だに存するものではない。

三、本件仮処分の取消により被申立会社の蒙る損害について。

被申立会社が本件仮処分命令の取消により蒙るべき損害は、申立人主張のような単に金銭によつて補償し得べき損害だけではなく、以下述べるが如き金銭による補償不可能な損害、又は金銭によつて算定し得べからざる損害等異常な損害を蒙るものである。

(イ) 被申立会社は会社を維持、存続せしめ得るに足る鉱山としては、本件鉱山を除いては之を有しないものである。(被申立会社が本件鉱山の採掘を目的として設立されたものであることは既に述べた)従つて万一本件仮処分命令が取消され、申立人等の妨害行為によつて、本件鉱山の採掘経営が不可能となつた時は必然会社の維持、存続は到底望むべくもなく、その結果は解散の已むなきに至ることは火を見るよりも明らかなところであり、一度解散するに至つた時は被申立会社が前記調停によつて取得した本件鉱山に対する採掘経営権(租鉱権)を喪失することとなるは勿論、会社設立以来築き上げた営業権、業界に対する信用等はすべて無に帰することとなり金銭によつて補償することの不可能な甚大なる損害を蒙ることとなるのである。

(ロ) 然して、本件鉱山の採掘経営ができないこととなれば、前記調停によつて、被申立会社が負担する中央電気及び福岡商会に対する鉱石販売の義務を履行することが不可能となる為めこの不履行による損害の賠償を請求されることとなり、この結果は金銭によつて算定することのできない損害を蒙ることとなる。

(ハ) 又現在被申立会社には百数十名の従業員が勤務しているが、被申立会社が採掘事業を行い得ないこととなれば、之等の者は直ちに職を失い、その結果之が約四倍に当る家族が路頭に迷うこととなり、一人の欲望を満足せしめる為め多数の犠牲者を生ぜしめるという社会的にも重大な問題を惹起することは勿論、被申立会社に於いても之等従業員に対して解雇手当、その他の補償をしなければならねこととなり、金銭に算定することの不可能な損害を受けることとなる。

(ニ) 申立人は本件鉱山の施設に関しては、之を徹去しその保全をすればよいから、被申立会社は保全費用のみの損害を蒙るに過ぎないと主張するようである。

而し乍ら鉱山の施設は之を徹去することとなれば再使用は困難であり、或は又長期間の保全も不可能に近く、而して又他に転用の許される性質のものでもないから、その価格は殆どスクラツプ値段となり、その損害は施設に関する全損に必適すると言つても過言でないところである。

(ホ) 以上述べた損害に加え、被申立会社は本件鉱山の採掘経営により得べかりし莫大な利益を失うこととなるのである。即ち被申立会社が今後採掘経営を継続するときは一ケ月平均六百万円(一ケ月の鉱石採掘量平均約八〇〇屯、屯当り価格約七千五百円の計算)の鉱石代価を得べきところであり、之を取得するに要する経費は租鉱料以外は休業中と雖も大部分支出するを要するものであるから結局被申立会社が本件鉱山の採掘経営によつて得べかりし利益は右の鉱石代価より鉱業権者に支払うべき租鉱料一ケ月平均五十四万円(鉱石代価の九%)を差引いた金額一ケ月約五百四十六万円に達し、之を年間の計算にすれば一ケ年約六千五百五十二万円の巨額に達するものであり、被申立会社は殆ど再起不可能な重大な損害を蒙ることとなるのである。

四、申立人は以上述べた如く、仮りに本件仮処分が取消されたとしても、事実上本件鉱山の採掘は之を為し得ないものである。このことは叙上の理由によるばかりでなく、本件鉱山は所謂官有林であり、之については被申立会社は所轄官庁との間に期間を昭和三十一年四月より向う五ケ年とする賃貸借契約を締結しているので、尠くとも右期間は被申立会社の承認なき限り誰人と雖も該賃貸借地内には立入ることを得ざるものであるから、申立人は仮令、施業案につき認可を得たとしても徒らに虚器を保有するものであつて採掘するに由ないところである。従つて申立人は仮処分命令の取消を求める何等の理由も実益も之を有しないものである。

目録

長野県採掘権登録第七拾五号

長野県上伊那郡辰野町(町村合併により川島村は辰野町となる)

満俺鉱 参拾六万五千貳百八拾坪

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例